一般社団法人 北海道まちづくり協議会

特集記事 THE座談会

2016年1月27日(水)

THE 座談会 [人口減少時代をかんがえる]第4回(全6回)

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第4回 住み替えの促進 ――――――――――――

(岡本)司会
今、地方創生で、とにかくいろいろなメニューを出すではないですか。民間にやってもらわなければいけないようなことも、それをサポートする位置づけで書いたりしていますけれども。
一番効果がありそうだなと思う、これは推せる、というメニューがあれば聞いてみたいのですが。

(生沼)
私の会社で、テレワークについて独自研究のようなことをやっていて、私もそのメンバーの一人なのですけれども、それは、一つの可能性としてあるだろうと思っています。テレワークというのは、離れたところで都会の仕事ができるということで、田舎にいても東京本社の仕事ができる。ファイルのやり取とか、コミュニケーションをしながら仕事ができるという環境は大事だと思います。
それは、今回の地方創生のメニューの一つにもなっています。それをやると自分の好きなところに住みながら働くことができるので、人口減少時代に大事ではないかと思います。札幌じゃないとできない仕事が地方でもできるということだから、私は特にそうしたいと思うけれど。

(川尻)
確かに、釧路市とか北見市ではやっていますよね。

(生沼)
そうすると、女性も育児をしながら働くことができますし、介護で親の世話をしながらでも仕事を続けられるということになれば、世帯の収入も減らないし、仕事も続けられる。会社としても戦力は減らないということで、みんなハッピーな仕事になるのではないか。
ICT関連の技術というのは、かなり進んでいるので、更に進めば可能性としてはあると思います。

生沼貴史

(岡本)司会
どこにでも住めるとなると生沼さんは、どこに住みますか。

(生沼)
自分の暮らしたいところになりますね。
ご飯のおいしいところがいいかなとか、都会に近いほうがいいから都市圏がいいかなとか。

(岡本)司会
そうなってくると、空き家とか土地の流動化もある程度促されるのでしょうね。

(生沼)
地方にある空き家を使って、そこでサテライトオフィスを構えて、そこで働くことができるということもあると思います。そこに移住して仕事をすることもできると思います。

(岡本)司会
実際、地方の空き家とか空き地は、所有者は誰かとか、相続対象がたくさんいらしてすごい人数が権利者になっているとか、そういうことを聞いたりするのですけれども、どういう状況にあるのでしょうか。

(川尻)
今の空き家の相続、息子さん・娘さんが、形としては相続しているけれども、そこには住んでいないというのがほとんどです。例えば、東京のような首都圏に住んでいたり、生活圏は別な所にあります。だから、相続したからといって、実家に戻って住むかとなると、なかなか今の生活をないがしろにして地元に帰るというわけにはいかないのだと思います。
本当に相続すらできなくて、身寄りのない空き家も実態としてはあると思います。

(岡本)司会
身寄りのない場合は、どう処理、どう対処するのですか。

(川尻)
基本的には、自治体で相続人を探すのです。探すのですけれども、音信不通の場合があるので、相続人がどこにいるのかわからない。生きているのか、もういないのかさえわからない。
空き家で、固定資産税を払わなければならない。でも、家主、所有者は亡くなって、相続している。法律上の相続人の明記はあるけれども、その人がどこにいるのかわからない。通知を出しただけで一方通行なのです。それ以上はしないのです。そういった空き家が多いということがあります。

(岡本)司会
次に何かに使おうとなったら、身寄りのない空き家はどうしようもないということですか。

(押野)
誰も管理しないということになるので、危険極まりないものもあったりします。豪雪だったら、誰も屋根の雪をおろさないから崩れてしまったり、悪い人がたむろしていたりとか。場合によっては、火をつけたり、そういうことで問題になったりします。

(生沼)
法の改正で行政代執行ができますし、それに対して国の補償がつくということもできますけれども…。

(川尻)
基本的に、行政執行するためには、相手がいないとだめなのです。特定空き家、危険度の極めて高い建物、家屋という認定をする必要があるということです。その上で行政代執行をするという形になると思います。札幌は、まだ事例としてないと思いますが。

(押野)
各地で空き家バンクとして、自治体のホームページに、場所・築年数の表示、外観写真等が掲載されている。そこに掲載された空き家がどれだけ利用されているのかという情報を個人的には知りたい。

(川尻)
壮瞥町の空き家担当の方にお話しを伺いに行きました。お話の内容は、全国を見ていると空き家バンクを利用した、田舎暮らしのようなものが流行っている。我々のような若い世代が農業をしたい、手に職をつけたい、職人になりたいということで田舎に行き、農家屋を買って住む。本州ではそういった雰囲気のある田舎暮らしがあるが、北海道の家屋は、本州の方からすると、元々イメージとして持っていた農家屋が、藁ぶき屋根でもなんでもよいのだが、農家というイメージから離れているようだと話をされていた。

(生沼)
屋根は板金屋根が多い。

(押野)
本州の田舎風景と比較すると風情は異なりますね。

(川尻)
なかなか今住んでいる家とそんなに変わらないので、空き家バンクに対する反応は少ないと言っていました。

(岡本)司会
人口減少が進めば、ストックとして空いてくることは明らかですね。

(川尻)
空いたストックが、押野さんが言ったように、危険な建物になった時には、それは社会的には負の遺産に変わってしまうのです。
そうなる前に何か手立てを打たなければいけないというのが、別の分野で取り組まれている中古住宅の流通促進が、一つの手段としてあります。中古住宅の流通促進については、例えば、札幌でいえば、中心部は我々のような若い世代は、高くて買えない。でも、マイホームがほしいといったときに、郊外の空き家、それも程度の良いものであれば住もうかなと思える。若いうちは、遠くても車で通勤・買い物もできる。
そうすると、郊外に住宅を持つオーナー、所有者にとっては、今は住んでいないけれども、ニーズに添った住みたい人がいるのなら、売らないにせよ貸してあげるとか。次の世代への繋がりは強まってくるのかなと思います。

(生沼)
住み替えの促進、例えば高齢者はまち中の高齢者向け施設に入るとか、そして家は若者世代に貸すとした仕組みですね。

(川尻)
家を自分の家系で繋ぐのではなくて、第三者に繋ぐことが、空き家対策の一つとして必要なのかなとは思います。

(生沼)
確かに、人口減少時代を考えると、後継ぎが地元に戻るのではなくて、住みたい人に来てもらえるような環境づくりが大事だと思います。

(生沼)
家族本位ではなくなってくるだろうということで、住みたい人がそこに住めるような環境を用意する、空き家を流動化する。仕事も農業や漁業は自分の家を継ぐということはあると思うが、東京の人が農家をやりたいと思ってやれるように環境を整えたり、それをサポートするような体制、子育て支援策等を整えることも大事だと思います。

押野和也

(押野)
家を持つという感覚ではなくて、家を借りるという感じが必要なのかな。日本人は、所有権とか、所有するということに拘るのだけれども、そうではなく、あなたがこの世に生を受けて、生きている間、ここを借りる、土地も建物も借りるという感覚がないと、今の家を媒体にしていろいろな人がやって来るということは、なかなかうまれにくい部分があるのかなと思います。
家は借り物です。そこに、いろいろな人がやってくるのですという感じの風土が生まれれば、もっと流動的な人の流れが出てくるのではと感じます。

(川尻)
その土地なり家屋に固執してしまっている。住むためには家がなければならない。そこに土地を持っていないとだめだ。そういった固定観念が土地神話が、小作人の時代から、代々DNAで引き継がれているのか。所有して、その場所にいないとだめだということが、なにかあるのでしょうね。
コンパクトシティという話にも繋がることかと思うのですが、土地や建物については、その土地に拘る、建物に拘るのではなくて、その地域、そのまち中に住むということが大事。その手段は借りたっていい。別に、高齢者の方であれば、「サ高住」でもいい。なんでもいいと思うのです。
また資産という意味では、もう少し柔軟に考えないと、これから土地なり家屋の資産は、今後増えていくかとなると、なかなかそうとは限らないと思うのです。土地の価値が今後も上がっていくかというと、そうでもない。

(押野)
数日前、都道府県地価調査が出て、あまりいい評価結果ではないのかなという感じを受けた。

(川尻)
おそらく、人口と相関関係はあるとは思うのです。

(岡本)司会
「住宅は借りる」ということを自然に受け入れるような思想になることが、まず大変だと感じ受けました。
日本の郊外の住宅は、木造が多いと思います。なかには、経年劣化した住宅もあり、同じ空き家でも選ばれ勝ち抜ける空き家、勝ち抜けない空き家も出てきそうですがその辺はいかがですか。

(川尻)
ユーザー側においては、隣の空き家も、その隣の空き家も見た感じは同じであり、その違いは感じられないのではと思います。

(生沼)
でも、なかにはありそうですね。勝ち抜ける空き家というのは。

(岡本)司会
勝ち抜けないのなら、ちゃんと除却していけるような仕組みも必要となります。

(押野)
そのような仕組みはすぐには難しいかもしれないけれども、たぶん、人口減少がもっと進むと「そのような家」も多数余りますね。

(川尻)
そうすると、前提に戻ってしまうのですけれども、人口減少は、果たしてよくないのかとなると、個人的には、それは、ある意味歴史を見れば、たまたま今のサイクルが人が減ってきているサイクルなのだから仕方ないと思ってしまうのです。
それを飲み込めないというのは、自分の故郷がなくなる、居場所がなくなる。そういった人それぞれの生き方、あり方そのものが否定されることが嫌なのかと感じます。

(岡本)司会
「自分の拠り所」というようなことでしょうか。

川尻雅裕

川尻雅裕

(川尻)
単純に経済的に考えると、市場(マーケット)がなくなれば、そこに人が住む意味がなくなる。
それは、自然の流れでしょうという話になってしまうのかと思います。
でも、我々は、そのまちの歴史がなくなる、故郷がなくなることを何とか食い止められないかと政策的にも動いている。でもそれは、今いる人たちがどう暮らしやすくするかがメインであって、今いる高齢者が20年後には大分減少したその後のまちはどうなるのかというところのビジョンが抜けてしまっています。
浅い知識なのですけれども、なぜ抜けてしまっているのかというと、行きつくのは、そのまちを守りたいという保守的な観点があるから、将来このまちをこうしたいとか、こういった資源を使ってこのまちを日本中のどこよりも良いまちにしたいというビジョンが伝わってこない。もちろん、地元の人にはあると思いますけれども、強く発信できていないということがあるのかなと思います。