一般社団法人 北海道まちづくり協議会

特集記事 THE座談会

2020年5月21日(木)

THE 座談会 in 東川町(2)〜なぜ、東川町へ向かったのか〜


● なぜ、東川町へ向かったのか~始まりは夫のロマン—————————————————

(森) ありがとうございます。東川町の田園風景といいますか景観は心がホッコリしますよね。ザワザワしている心が凪いでいくというのかな、とてもいい感じがする場所だと思います。でも意外と夏は暑いんですよね。日射しを遮るものがないし。

(菊地) ここ3~4年で2回全国一暑い日がありました。結構夏は暑いですね。

(森) その熱い東川に2014年、轡田さんが旭川から移住された。ご自身は引っ越し感覚だったとおっしゃっていましたが、町としては移住にカウントされていらっしゃると思うので、なぜ旭川からこの町に一家総出で移住してこようとなったのですか。

(轡田) かなり重い決断だったのですけれども、最初は本当に東川はドライブスポットという感じで本当に素晴らしい町で、たまたま通りかかった場所の看板に「売り!」と書いてあったというところもきっかけとして大きかった思います。主人にとって東川町は自分の遊び場という感じで、山や川で心を癒す場所としてよく通っていたということがそもそものきっかけです。

(森) ご主人も旭川の人ですか。

(轡田) 旭川です。色々なライフスタイルを考えていったときに、最初はお店を目的という感じではなく、余生を楽しむ場所というのが彼の気持ちには強かったのでしょう。主人は、私より12歳上でその当時働いていた職場からも近いというところもあって、この町で暮らせたらという男のロマンが強烈に思い浮かんだと思うのです。
当時、本当に築50年近い建物を最初に見たときに衝撃でしかなくて、「この人は何を考えているのだろう」というのが最初の感想だったのです。

(左)轡田紗世さん (中)夫でヨシノリプランニング社長の轡田芳範さん (右)田んぼの真ん中にある東川本店

(森) ここは、元は納屋だったとか。初めて見たときは、本当に言い方は悪いけれどもボロボロの納屋ですよね?

(轡田) 愕然としていました。倉本聰さんの「北の国から」の黒板五郎さん家の純と蛍のような感覚でした。ここは電気が通るのだろうかとか、本当に何もなかったので、ここで私は一人置いていかれてしまうのかな、というのが最初の私の印象だったのです。別にシティに住んでいたわけでもないのですけれども、ただ本当に隣の住人が田んぼ二枚先というのはリアルに経験がなかったので。あとは、虫とか蛙やネズミなども時折見かけて「エッ」というような感じ。
一方で、取り扱う商材がコーヒーということで、景観と水のバランスが素晴らしいと感じました。本当に自分でも源水をよく汲みに来ていて、コーヒーやお茶を入れるととてもおいしかったので、こういう素晴らしい資源を使わせていただける環境で、たぶん、コーヒー屋を田んぼの真ん中でする人はどこにもないだろうなとか、プラスのイメージをあえて持つようにしていきました。
それと、子育てに力を入れているという幼保一環とか「ももんが」さんのような施設というものにも当時はすごく惹かれるものが私にはありました。
実は最初はネガティブなところからスタートしていたので、どんどん存在が近くなればなるほどプラス・プラスにポジティブに変換されることが大変多く感じられるようになっていました。
今は、本当に誰よりも人に東川町暮らしを勧めているのではないでしょうか、というぐらい東川町のことを勧めているかなと思います。そのためには責任感を持ちながら、どこがどう素晴らしいのかということを明確性を持って伝えていく立場にならないと、と気持ちが変化しています。
この景観と子育てしやすい環境、あとは相性の良い水が一番私にとってはここに入って来る上では大事なポイントだったと思います。

(森) 元々コーヒー好きですか。

(轡田) いいえ。

(森) 旦那さんが男のロマンで古い納屋を「売り!」という看板に惹かれて「買い!」という衝動に走るのはあるあるだなと思うのですが、その納屋でなぜコーヒー豆を売ることになったのかが謎のままですが。

(轡田) そうですね。私も自分でこんなに心が5年も経つと人間は変わるんだというのを痛感しているのですけれども、本当に当時はコーヒーは苦いものという感覚でしかなかったのです。

(森) 旦那さんはコーヒー好き?

(轡田) 好き、大好きです。きっかけは、主人に私が結納返しで大好きなコーヒー焙煎機を買ってしまったことが全ての始まりです。夫の暴挙に加担しているのですね私が。今は罪多いことをしてしまったと思いませんけれども、東川に向かうスタートとというか、彼にアイテムを渡してしまったことで人生が本当に180度変わってしまいました。
彼は、すごく探究心のある人なので、仕事の合間をぬっては東京などに行って焙煎の師匠となる方々を見つけて帰ってくるのです。そうした時は、仕事をしているときよりも目がキラキラしていて、「楽しいんだな」という感じが丸見えでした。当時は、彼のお金で私は食べているような存在だったので、どうぞお好きにしてくださいというような感覚で、ここを買う時もそんな感覚で軽く思っていたのですけれども、もう少し重めに考えるべきだったなと今はすごく感じている次第です。
その頃、彼は誰でも手に入るものではないコーヒー豆の生産者について熱く語っていて、また、私もその方たちと交流を持つようになって、普通の人では手に入るものではない希少価値のあるそのお豆を目にした時や、そのストーリーを聞いたときに、この地でその豆を販売できるということはとても大きな魅力に繋がるのではないかな、という思いが強くなっていました。コーヒーが苦手だった人間が飲める豆ということは、それを伝えることに意味のあるものだというように思って、今に至っているのが現状です。

(森) 紗世さんは、とても素直で正直な方ですね。

(轡田) そうですかね。たぶん嘘偽りがあると売れない商材なのかと思います。

(森) この場所は軽く考えるぐらいの金額で売りに出されていたのですか。数百万くらい?

(轡田) そうですね。一坪単価でいうと、ここは500坪あるので、だいたいそれぐらいで…。

(森) 数十年前に東川町で、衝動的にここ買ったらいくらと聞いたら300万円程と言われて、高いか安いか分からなくて、でも買って何にしようと迷った。今思うと買っておけばよかったな、あの時…。

(轡田) そうですよ。本当にその当時だったから手に入ったという感じですね。少しずつ高騰はしていると思うので、たぶん良い時に買わせていただいたと思います。

(森) 都会から田舎エリアに移住する時に、やはり一番気になるのが行政サービスといいますか公共サービス、インフラのことも含めて、どんなに田園風景が美しかろうが癒されようが、男のロマンはこっちに置いておいて、ごく一般的に住民サービスというところは気になりますよね。轡田さん、当時その点はどうだったのですか。

(轡田) 最初から本当に住民主体に考えてくださっている、というのを一番感じたのが大きいです。こちらが細かなことでわからないことがあったりしても、窓口の方に聞けばちゃんと返答があるというのがやはり大きかったです。一番は、どこかの誰々さんというのが顔と名前が全部一致するぐらい親しく接してくださるというところで安心感が変に芽生えてきてしまって。
うちなんかも「移住したいのですけれども」なんていう方が見えたりすると、「じゃあ、どこどこ課の誰々さんに尋ねてみると分かりやすい情報が入るのではないですか」なんて言っています。その先の結果が見えやすいと思うのが、やはり土日・祝日関係なく役場の方がお客様を案内してくれて、「あのとき菊地さんが連れてきてくれた方だ」というのがわかるので。またいらっしゃったのだなと思って「菊地さんは、今日はたぶん出張と聞いてますよ」と、私が勝手に答えたりしちゃってなど、諸々の面で疎外感なく住めるという安堵感をここの町に持てました。それが私にとって最初の間口となり、信用と信頼ができる町だなと思いました。

(森) 菊地さん、そういったことの引き継ぎはこまめにやるのですか。それともそういうことも自然な流れで? 意識して引き継ぐ?。例えば轡田さんのような案件で、菊地さんが異動になるとしますよね。移住話の半ばで別の課になるというときは。

(菊地) 引き継ぐところは引き継ぎますし、引き継がなくても別に違う課に行ってもやれることはやれるので、そこのバランスだと思うのです。例えば、全然関係のない課に行ったとしても全く手を放してしまわないといいますか、それが良いことか悪いことかというのは、普通の仕事でいったら意見はあるでしょうけれども、そういう人との関係というのは一回つくれば部署が移ったから終わりということではないと思うので。

(森) 轡田さんは、ご主人の男のロマンから始まった東川町暮らしに向かって自分をポジティブに書き換えていく。その上書きの仕方がポジティブで批評家になろうとしなかったということでしょうか。

(轡田) 本当に可能性がある場所で、可能性のある商材だったということが、私の心すらもきれいにしていった。きれいになったかどうかはわかりませんけれども、変化させていきました。

(森) 何だかのろけられたかもしれない。

(菊地) ご主人に対する愛しか感じません。(笑)

ご主人に対する愛しか感じません

 


●次回・第3回のテーマは“東川町の暮らしづくり~田舎くさくない田舎暮らし”です。