一般社団法人 北海道まちづくり協議会

特集記事 THE座談会

2016年12月18日(日)

連載企画 THE 座談会2《第1回》まちなかの変化、人の変化

title-20162■開催趣旨
「北まちブログ THE座談会」では、各専門分野で活動されている皆様から、それぞれのお立場あるいは現場経験を通じ、日頃よりお考えになられている「人口減少時代のまちづくり」に関するご意見・お考えなどを伺い、その内容を数回に分けて掲載し、ご好評をいただきました。
「THE座談会2」は、新たな3名の方にお集まりいただき、“人口減少時代にまちづくりをかんがえる”と題し平成28年9月1日に行いました。
その内容を会員のみならず一般の皆様にとって「人口減少時代のまちづくり」を考えるヒントとしていただくとともに、今後まちづくりに関わろうとする方々の手がかり、足がかりとしてもお役立てていただけることを期して、今回から8回にわたり連載いたします。

■出席者プロフィール




《第1回》まちなかの変化、人の変化 ■■■■■■■■■■

《押野》 本日は、北まちブログの連載企画 THE座談会2「人口減少時代にまちづくりをかんがえる」ということでお集まりいただきました。昨年に、引き続き「人口減少」ということを基本テーマに新たなメンバーで座談会を進めてまいりたいと思います。
皆さん、お互いによくご存知だと思うのでざっくばらんにお話していただければと思っております。最初に簡単に自己紹介を大場さんからよろしくお願いいたします。

《大場》 今日は、私が一番年上だと思います。大学を出て、すぐにコンサルタントに入りまして40年です。会社は4つ目ですけれども、都市計画及びまちづくり、という基本のところでは変わらなかったはずなのですが、あきらかに違ったということはバブル。昭和の時代と平成に入ってからのまちづくりのあり方そのものが変わったことは痛烈に感じております。

《押野》 この後、おもしろそうな話が出てくるのかなと思います。

《久新》 生まれは神戸、47歳です。大学の時に札幌に移ってきましたので、かれこれ札幌の生活の方が長くなっています。会社は、岩田地崎建設の札幌本社にずっといます。20年少し勤めてきたのですけれども、前半10年くらいが現場の技術屋で、その後10年以上経つのですけれども、後半は営業系の仕事をしております。土木と建築の仕事があるのでが、私は建築の営業をやっています。そして札幌に骨を埋めようと思っております。

《岡本》 この2月が誕生日で40歳になりました。この座談会では一番若いと思います。今は、北海学園大学の工学部建築学科で教員をやらせていただいており、早いもので10年目になりました。その前は、まちづくりと都市計画、建築設計もやっているホルスという会社に勤め、いくつかの市町村の計画ものに関わるという実務の経験も少しさせていただいております。今の職場では、都市計画をメインに教えており、学生がやりたいということをなるべく尊重して卒業研究に取り組んでもらうということがメインの状況にあります。

《押野》 ありがとうございました。まずは、話しのきっかけということでサブテーマを挙げさせていただいております。一つ目、「まちなかの変化、人の変化」です。
お三方ともそれぞれのお立場からまちづくりに関わっておられますので、いろいろな意味でまちなかの変化、人の変化。あるいはまちづくり、市町村の施策の変化、いろいろ感じたり、見たりされていると思います。
大場さんは、岩見沢市の中心市街地のまちづくりに十数年も関わり見てきているので、なんとなく、あるいは大きく変わったな、ここは変わっていないなということがあるかと思いますが。

《大場》 岩見沢については、最初の中活法ができたあたり、平成10年頃から関わっています。なので、18年ですか。途中抜けた時期もありますが、中活を経て今に至っています。
岩見沢のまち自体も僕が関わった頃は、バブルが終わって少し疲弊し始めていて、その時の政策である中活法に乗っかるというか上手く活用しようということでした。
ただ、どうしても、まだ昭和の時代の箱物的な発想というものが幾分残っていましたね。駅前にデカイ建物を造れないかとか、駅前通りも札幌の大通りに負けないような広い道路にしましょうとか、そのような発想が残った中で中活に取り組み始めました。
その中で、まちづくりには景観が大事ということでその分野の仕事にも関わりました。
しかし、現実には、それこそ今日のテーマである人口減少が始まっていて、合併で見掛けは増えたように見えるけれども、実は減っていくという中で、まちづくりも今までの流れでつくっていってはだめなのだということを、住民のみなさんも少しずつ感じ始めてきたのかなと思うことがありました。そんな中で最近は、「人口減少に向けて」どんなことができるかという議論も始まったような気もします。

《押野》 今までとは違った動きが起きているのですか。

《大場》 去年からはじめているのですけれども、いよいよ駅前通りが整備されるということで、駅前通りの住民サイドも何かしなければいけないのではないかということで、駅前通りに活性化部会なるものをつくりました。それは、自分たちでやれることはやろうではないかということで、20年近く経ってやっとその動きがでてきたという感じです。
実は岩見沢は人口減少に伴い人口構造も変わってきていまして、駅前通地区は若い方が少ない状況にあります。そのため活性化部会には、岩見沢市内の他の商店街の人が入ったり、教育大生がいたり、隣まちのNPOの人がいたりという構成です。もちろん通りの人も入っていますが。議論と活動を進めていくということがやっと始まったばかりです。

《押野》 地元の関係する人達だけが入っているのではなくて、岩見沢に何かの用事で来る人はみんな入れるような感じですか。

《大場》 意欲があればどんどん。大学生など若い方にも入ってもらいたいということです。

《押野》 岩見沢教育大が加わった効果はどうでしたか。

《大場》 議論が活発になったかなという感じはあります。昔とは、大分変わってきたなと感じます。

《久新》 年齢層も若い世代から、いろいろいらっしゃるという感じですか。

《大場》 そうです。結局、通りの人だけだと年長の方がどうしても多くなります。活性化部会ということで活動の実行部隊ですから、若い人を入れなければ活動に結び付かないということでそういう形になりました。

《押野》 市役所の人は入っているのですか。

《大場》 オブザーバーとして入っていますが、地元主体でやっています。私もお手伝いとして入っています。

《押野》 代替わりのようなことはあるのですか。商店のおやじさんが息子に継いでとか。

《大場》 難しいですね。子どもが大学へ行って戻ってくるかといったら戻ってこない。俺の代で終わりだという人もいますし、なかなか若い二代目・三代目は残っていないのが現状ではないでしょうか。いても、活動には消極的であるとか。その辺は課題ですね。

《押野》 どのくらいの割合で代替わりして継がれているのですか。

《大場》 商店街にもよるのでしょうけれども3割程度なのかな。その店に勤めていた人が継ぐということを入れるともう少し増えるかもしれないけれども。

次回につづく《第2回》学生たち…受け身から働きかけに」

第1回 まちなかの変化,人の変化
第2回 学生たち…受け身から働きかけに
第3回 現場を通して感じる人口減少
第4回 まちのコンパクト化とは?
第5回 暮らし方の選択肢は多様である方がよい
第6回 これからのまちづくりに必要なこと~キーワードは「ごちゃ混ぜ」
第7回 混ざる、混ざり合うことが、はじめの一歩
第8回 北まちが担っていくべき役割